管理者の独り言(ブログへ移行、その後2014年7月よりFacebookへ移行しました。
2006年
6月14日
4年ぶり

20023月以来何も書いていない。趣味の釣行回数も減り、模型製作も滞っていた。

原因は仕事が忙しくなり、休日出勤が増え、管理職だったので時間外手当も付かず、しかも代休も取れない状態が続いていた。精神的に疲れ果てていた。遂には眠れない日も続き、心療内科へ通院。父もがんで倒れ、今までの仕事は精神的・肉体的に限界を感じ辞めることにした。経済的には年収が半分になるものの、やりがいを見出せる新しい仕事に就いた。今までのように休日出勤、サービス残業もなく精神的にもゆとりがもてるようになった。

振り返るとこの3年間、仕事のストレス、通院、転職、父の死、2年間の通信教育、国家試験受験等と今までになく本当にハードな期間だった。

 気持ちにゆとりが出来ると、目の前が明るくなったような気がする。椎間板ヘルニアで本格的釣りはもうしばらく行けそうにないが、プラモデル製作を再開した。3年振りに新作をアップした。私の作った作品でも見に来てくれる方がいるのがとてもうれしい。また、更新が出来ない時でもホームページ開設以来掲示板に遊びに来てくれるネット仲間の存在も非常に大きかった。ネットフレンドに励まされた3年だった。

 しかし、また仕事の関係で新たに資格を取るため通信教育を始めた。また、仕事では宿直が週2回となり、所属するカトリック教会の広報も担当することになり、なにかにと忙しくなってしまった。また当分、釣行、模型製作はお預けか・・・・・・

2002年
3月3日

禁煙
 たばこを止めてからもう2ヶ月が経ちました。
今でも食事の後やコーヒーを飲んだ時は、少し吸いたいなあと思うこともあります。
数年前にも一度禁煙にチャレンジしました。その時は1カ月で挫折。
それ以来、たばこは一日最低40本とヘビースモーカーに。お酒は飲まなくても平気だが、たばこだけは絶つ事は出来ませんでした。それが今、禁煙してから2ヶ月ですよ。凄いでしょう!
 止めるきっかけですか?それは昨年の暮れ、仕事中ですが、いつものようにたばこを吸っていた時です。
呼吸の都度胸に少し痛みが、深呼吸しても少し苦しさを覚えました。急にたばこも不味くなり、その日はもう吸わずに過ごしました。家に戻ってから、ひょっとすればこれを機会に禁煙できるかも・・・・そこで意を決して残りのたばこを廃棄処分に。
私はいつもカートンで買ってますので、その時は6箱残ってました。全部吸い終わってからにしようかとも思いましたが、それだとまた止める事が出来ないと思い、断腸の思いでたばこを握りつぶしました。
 お正月休みはホント辛かったです。最初の2週間位は吸いたくてとても辛い日々でした。
たばこの代わりにガムを噛んだり、水を飲んだりと悪戦苦闘の毎日。1ヶ月を過ぎ、ようやく吸いたいと思う気持ちは薄れました。しかし、どこか口淋しく間食する機会が増え、それに伴い体重も見る見るうちに・・・・
2ヶ月で5キロオーバーに。そして、たばこ代を貯蓄にとも思ったのですが、それも思うように行きません。
 現在、減量すべく徒歩で通勤、バスケットボールの練習も再開。春からは渓流釣りが解禁になるし、山河を歩き回り、
少し痩せなくっちゃ!これ以上太ったら、ウエストが・・・そして衣料費がねぇ・・・・
2002年
2月25日

掲示板荒らし
 日曜日の朝、気持ちよく目覚め、いつものようにメールチェック。そしてホームページのBBSをチェック。
な、な、なんと画像掲示板にとんでもない画像が・・・絶句。
不適切な画像、御察しの通りアダルトな18禁画像でした。凄いショックでした。
誰がこんな悪戯を・・・・もちろんメールアドレスは入ってません。とても不愉快な気持ちに。
せっかくの日曜日がブルーに、直ぐに画像は削除、相手のホスト名にアクセス制限をしました。
 以前、リンク先の掲示板で掲示板荒らしなるものを数件見たことはありました。
誹謗、愁傷、好き勝手なこと書き綴って逃げて行く。とても非常識だと思ってました。
個人的に意見するならメールすればいいものを、みんなの見る掲示板に攻撃を加えるなんて許せません。
 幸い、私のとこは深夜の投稿だったらしく、他に見た方はいなかった模様。
それにしても、嫌な思いをさせられました。
 コンピュータウィルス、掲示板荒らし、ネットストーカー等、楽しく便利な筈のインターネットが一部の心無い人によって
不愉快な思いにさせられるとは、悲しいことですね。

2001年
9月30日

映画
 映画「タワーリング・インフェルノ」「ダイ・ハード」「アルマゲドン」どれも特撮を駆使した迫力ある映画。
ビルの炎上、爆破、倒壊と手に汗握り、見入ったものだ。
 もう寝ようとテレビを消そうとした瞬間、飛び込んできたのが、煙を上げている世界貿易センタービルの映像。
最初は何事か理解できなかった。そしてまもなく更に旅客機が激突、炎上。なんと言うことだ、しかもライブ映像。
実際の出来事に目を疑った。
 映画では爆破、炎上シーンにリアルさを求め、それを楽しんでいたが、現実の映像を目の当たりに見るて、何人もの方々の尊い命が奪われたのだと思うと、凄いショックだった。しばらく眠ることさえ出来なかった。
 
 事件後、改めて「ダイ・ハード3」「アルマゲドン」を見た。前者はテロの舞台がニューヨーク、後者はニューヨークを隕石が直撃する。どちらにも世界貿易センタービルがマンハッタンのシンボルとして映し出されている。
劇場公開当時は迫力映像に見入ってましたが、今回は楽しめるどころか、見ていて辛い気持ちになりました。
特に「アルマゲドン」では、実際のテロと同じく倒壊し煙を上げている同ビルが写し出されます。
今観ると、どうしても今回のテロ事件が思い出され、楽しく見ることが出来なくなりました。
このテロ事件、決して許すことが出来ません。報復が報復を呼び、再び悲劇が起こらないことを祈らずにいられません。

 映画を純粋に楽しめる平和な時を再び・・・・
2001年
2月9日

タイムマシン
 模型の部屋にUPしたカーモデル、デロリアン。
ご存知の方も多いと思うが映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」に登場するタイムマシンだ。
過去、ドラえもんをはじめ、映画にテレビにいろんな型のタイムマシンが登場。
中にはマシンを使用せず、タイムとラベルをする超能力者もいた。でも、私はこのデロリアンがとても格好良く、好きである。
 映画はストーリーの面白さもあって3作ともヒット、勿論私も全作観ました。
映画への憧れからこうしてプラモを作った訳だが、製作に着手してだんだん形が完成に近づくにしたがって、本当にこんなマシンがあればいいなあ、自分でも一度乗ってみたいと夢を膨らませる自分がいた。
 もし、本当にタイムマシンがあったら、皆さんはどうします?
 ジュラ紀、白亜紀に行って恐竜を見たり、石器時代の発掘捏造疑惑の現場を確かめに行ったり、織田信長等歴史上の人物に会って歴史上の謎解きをする。
または、人類の過ち、戦争を回避させる。万馬券を買い捲り大金持ちになる。
 でも、こんなことをしたら考古学者も歴史学者も要らなくなっちゃうし、過去を変えたら現在の自分の存在が
消えるかもしれない。消えないまでも全く別の人格の人間いなってしまうかもしれない。
やはり過去はミステリーで、過去の過ちは未来への教訓としておく方がいいですね。

 誰もが一番気になるのは、自分の将来、未来についてだと思う。
10年後、20年後の自分、家族はどうなっているのか、リストラになってはいないか、年金は大丈夫か、痴呆になってないか、いつまで生きてられるのか。 
 自分の未来が分かった時、人はどんな行動にでるだろうか。
より良い未来が待っていれば、人は努力することを止めてしまうのでは、悲惨な未来であれば悲観してより悲惨に、またはそれを回避するため努力する?
 果たして自分はどうするだろう。
未来を覗いてみたい、けど、見るのも怖い。映画ではハッピーエンドだったが、途中振り回されっぱなし。
やはりタイムマシンなんて無い方がいいのかもしれませんね。
 
 過去を教訓により良い未来へ向かって、今この瞬間を一生懸命に生きることがベストですね。
2001年
2月8日

海を抱きしめて
 毎日降り続く雪。今年は13振りの大雪。
年齢とともにスキーへ行く回数も減り、運動不足の解消に毎日汗して雪片付け。
こう降られると、どうしても家に閉じこもりぎみになってしまう。
 押し入れの奥から久しぶりに懐かしいレコードを取り出してみた。
色あせ、傷ついたジャケット。でもこれらを聞いていた中学、高校時代を思い出した。
よく、学校で貸し借りをしたものだ。LPレコード等は隠して持ち込むのが大変だった。
 私のお気に入りを発見!「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌のレコード。
当時全盛だった青春ドラマ。私は中村雅俊が好きだった。このドラマも中村雅俊主演、もちろん主題歌も歌ってた。
主題歌が「時代遅れの恋人たち」、そしてエンディングが「海を抱きしめて」
私はこのエンディングの曲が好きで好きで、何度慰められたろう。歌詞がぐっと心に染みる。
私らの世代の方はご存知と思うが、知らない方のためにご紹介。

海を抱きしめて
山川啓介作詞/筒美京平作曲

生まれて来なければ よかったなんて
心が つぶやく日は
人ごみに背を向け 会いに行くのさ
なつかしい海に
幼な児よりも ひたむきに
遠い名前を叫んで
汗ばむ心潮風が 洗うにまかせれば
いつのまにか生きることが また好きになるぼくだよ

誰かがぼくよりも まぶしく見えて
心が うつむく時
カモメの笑い声 聞きに行くのさ
いつもの渚に
なんて小さな 悲しみに
人はつまづくのだろう
船乗りたちがするように 海を抱きしめれば
忘れかけた大らかさを またとり戻すぼくだよ
2000年
12月26日

インターネット
 今年も残すところあと僅かとなり、やっぱり師走、あっちこっち忙しそうに走り周ってます。
昨年からインターネットをはじめ、今年自分でもホームページを開設。ネットを通しいろんな方と
知り合うことができました。
 地域を越えて共通の趣味の話題に盛り上がり、情報交換やアドバイス、日常の付き合いとは別に
楽しいことが沢山ありました。
 ネットを通じて知り合った方と飲みに行ったり、釣にも行きました。
釣では、誘ってくれた方を通してまた沢山の素敵な仲間にも逢えました。
模型では、私の欲しかったキットを探して送ってくれた方もおりました。
趣味を愛し、それに打ち込んでる方に悪い人はおりませんね。
インターネットは私に新しい出会いの場、楽しい情報をくれました。
でも、こんな素晴らしいネットを利用してストーカー行為、詐欺等の犯罪、
誹謗中傷など許せないことをする方もあるのも事実。
21世紀、便利で明るいネット社会になることを祈らずにいられません。
2000年
9月29日

ヨーキー
 営業成績不振、残業、釣りに行けない。
ストレスの続く毎日。そんな中、帰宅後ペットのヨーキーの愛くるしい顔を見るとほっと一息。
我が家に愛犬のケビンが来てからもう半年。
 私はペットを飼うのには反対だった。けっして犬が嫌いとかではない。
幼い頃、2匹の犬を飼っていた。当時はまだ周りは田んぼ、外の犬小屋で飼ってたし、
ほとんど放し飼いといってもいいくらいだった。当時はのどかでした。
しかし、行方不明、死別と悲しい出来事が。幼心に心を痛めました。
あんな悲しい思いを2度としたくない、それに人間のエゴで動物の自由を束縛するのはよくないと
思い、反対だった。
 
 妹は犬を飼った経験がない。その妹が家族に内緒でヨークシャーテリアの子犬を購入、
自分の部屋で内緒で飼っていた。主人の居ない部屋で淋しく鳴き、家族の知るところとなった。
基本的に動物は嫌いではないので、結局家族みんなで面倒をみるはめになった。
今ではペットとは思っていない、もう家族の一員だ。
 
 4年前に家を新築。それぞれの部屋にはテレビにビデオ、冷蔵庫もあり、自分の部屋にはキッチンまで付けた。
以前の家では、結構家族そろってくつろぐこともあったが、今ではほとんどそれぞれの部屋で
過ごすことが多く、家族団欒は昔の話となってしまった。
 ケビンをみんなで世話をするようになり、ペットという共通の話題に話もでき、
チョットぎくしゃくしてた家族関係もよくなった。それに年老いた両親にはいい話相手かもしれない。

 我が家の人気者ケビン、家族間の潤滑油でもあり、それぞれのベストフレンド。
2000年
7月30日

地上の星

最近、欠かさず見てるTV番組にNHKの「プロジェクトX」がある。
過去のいろんなプロジェクト、それにまつわるさまざまな人間ドラマ、
プロジェクトに賭ける熱い思いに毎回新たな感動を覚える。
 
 挿入歌、中島みゆきの「地上の星」「ヘッドライト・テールライト」がベストマッチ。
我々の知らないところで繰り広げられたプロジェクト、歌のように人は空ばかり見ていた。
地上の星を求め、時には命をも賭ける生き様に心打たれる。
彼らの成就したプロジェクト、その軌跡、情熱は次の世代へと受け継がれる。
エンディングの「ヘッドライト・テールライト」のように正に旅はまだ終わらないですね。
 
 私の名前は成就(ジョウジュ)、昔からよく名前負けと言われてきた。
私の人生は空に輝く星のようにはならないかもしれない。
しかし、たとえ地上の星でもいい、人生というプロジェクトを成就するため、終わらない旅をし続ける。

2000年
7月16日

公園

家の前に公園がある。
グラウンドまでとは言えないが広場があり、滑り台にブランコ、鉄棒、
近所の幼稚園、保育園が運動会をしたりもする。
そして緑も豊かである。春には桜が、秋には紅葉、冬は小さな坂があるので子供たちのスキー場だ。
私も小さい頃からよくここで遊んだものだ。
部屋の窓から見える緑が眩しい、子供たちの歓喜の声が聞こえる。
私の幼い頃の思い出が詰まった公園。
でも、今では目の前なのにほとんど足を踏み入れることはなくなった。

何気なく窓の外を見た。
高校生のカップルが芝生の上で寄り添って座っていた。

傍らには彼の自転車が、絵になる光景だ。
よく見ると、彼女はうつむき泣いてるようだ。彼の胸に顔を埋め、彼はそっと彼女の肩を抱き寄せる。
この二人に一体何があったのだろう。喧嘩でもしたのかな。

高校時代、勉強に部活にそして恋に、夢と希望、そして挫折と後悔、いろんなことがあった。
 二人を見ていて俺にも同じような光景が・・・・ふと昔を思い出した。
あの頃は純真だった。余計なことなど考えず、何も恐れることもなく、
親の苦労も知らず、ただ毎日が楽しければそれでよかった。
今は、こうして休みの日でも仕事のこと、生活のこと、人間関係、将来に対する不安と
いろんな事を考えるようになってしまった。
それだけ、歳をいったということか。
あの頃の自分をもう一度取り戻したい。二人を見てそう思った。

 おやっ、いつの間にか二人の姿が・・・・・二人乗りで走り去る後姿。
よかった。無事仲直りしたんだね、きっと。
この公園が彼らに淡い恋の思い出の場所になるのか。

2000年
7月9日

宇宙
七夕、あいにくの天気に天の川が見れなかった。
織姫と彦星はデートできただろうか。

星、星座にまつわるお話はたくさんありますね。
悲しかったり、ロマチックだったり、一体誰が考えたんでしょうね。

私が生まれるずっと以前から輝いてる星、その光が時空を越えて今届いている。
星空を見てると、いろんなことを考える。
広大な宇宙、どれだけ広いんだろうね。宇宙の果てってあるのかな、宇宙人はいるのかな。

たくさんの銀河の中のひとつ、そのまた太陽系の中の地球、
その中のアジアの日本の青森の・・・・宇宙規模で見たら私の存在なんてゴミみたいなものだね。
星の一生に比べたら人間の一生もほんの一瞬にしか過ぎない。
仕事上でのトラブル、ストレス、悩み、恋に破れ悲しみ傷つきと
時には生きることさえいやだなって感じることもある。
でも、宇宙の雄大さを思うと自分の悩み事などなんてちっぽけなんだろう、
そして星の美しい輝きに心を洗われ、また生きてゆく勇気が湧いてくる。

自分もあの星のようにいつまでも輝いていたい。
2000年
6月19日

メール

 小学校の時、好きだった娘が転校してしまった。その彼女から手紙が届きペンフレンドを紹介してくれた。
初めての文通のはじまり。


 私は字が下手でいつも先生から注意を受けていた。その私が手紙を書くのだから笑ってしまう。
会ったこともない人と手紙でのやり取り、何を書いていんだか、いつも悩みながら書いていた。
書き上げて読み返す程に字のまずさに出すのをためらってしまう。何ヶ月続いたろう、自然消滅。


 中学時代、相変わらず字の下手さは変わらない。もう性格と同じで変えようがないようだ。
そんな私にガールフレンドができ、交換日記をすることになった。
毎日、学校で会ってそしていつも一緒に帰ってるのに、そのあと日記の記入が待っている。自分の字を見るたび、彼女への愛情がないのではと思うくらい下手だった。
 
お小遣いでカセットテープレコーダーを買った。交換日記から交換テープに変わった。
私としては、文章をかくよりはるかに楽だった。BGMを入れたり効果音を入れたり、これは結構楽しかった。

 時は過ぎ、地元の金融機関に就職、私を待ち受けていたのは数字の記入と営業日報の作成。自分でそろばんをはじいても答えが毎回違う。自分で書いた数字が読めない。1か7か、3なのか5なのか。
日報は上司からもっと綺麗に書けといわれるし、ペン字の通信教育を受けようかと思ったくらいだ。

 数年後、ワードプロセッサーなるものが登場。これとばかりにすぐに飛びついた。マニュアルの厚さに愕然となる。結局はディスクのオブジェと化した。やがて職場にもパソコンが導入、社内の書類もワープロで作成するようになった。否応なくキーボードの練習をし、なんとかこなせるようになる。
 転職した時、退職金でパソコン一式を購入。当時で50万円の投資。ワープロも表計算ソフトも購入したが、家では殆どやることがなかった。高価なTVと化した。
 
 インターネットなるものが流行りだし、乗り遅れてはだめと思いパソコン一式買い替える。
初めて購入したものよりはるかに高性能で価格も半額以下だった。なんかやるせない気持ち。
 とにかくインターネットをはじめた。
先ずは、Eメールから。ふと昔を思い出した。文通みたいだった。
文通と違うのは、文字が俺の字ではなく、綺麗なパソコンの文字。これだと誰に出しても恥ずかしくない。いい世の中になったものだ。
 
メル友も数人でき、メールを交換するようになる。しかし、確かに読み易い文字だが、個性がない。
文章表現は十人十色だろうが、文字はあくまでも無機質なマシン文字。
パソコンの向こうの相手は、果たして俺のことどう思ってるのだろうか。俺の出したメールにどのようなイメージを持つのだろう。
顔の見えない相手と、無機質な文字だけでのコミュニケーション。いつでも始められて、いつでも辞められる。人間関係が希薄な世の中を象徴してるかのよう。
 
 ネットを通しての付き合いだが、せっかく出来た友達。少しでも長く続けたい。
一方通行ではあるがHPを作り、あえて自己紹介で自分の写真を公開した。会うこともない友達かも知れないが、いくらかでも自分の個性を出したかった。メールが途絶えても、気の向いた時に私のHPに遊びに来てくれればと・・・

2000年
5月20日

多趣味な私ですが、趣味はと聞かれると真っ先に「釣りです」と答える。
中でもクロダイ釣り。
クロダイはなかなか釣れない。釣れても爆釣なんて殆どないし、型も大物にご対面なってめったにない。私もクロダイをはじめて5年になるが、シーズンだといって毎週磯通いしても、スコンクの時もある。
よく人に釣れなければ面白くないし、飽きちゃうでしょうと聞かれるが、私の答えはNO!
クロダイのあの強い引きの感触が忘れられない。中毒みたいなもんでしょうね。

 しかし、私を海へ導く力はクロダイの魅力だけではないと思う。
たとヘ釣れなくても海を見てるだけでも不思議と飽きないのだ。
海の神秘的な魅力がそこにあるからだろう。人類は宇宙へ人間を送れるようになり、また、観測機器の進歩ではるか何万光年先の天体の様子も分かるようになった。でも、我々が暮らしている地球の海については、未だ謎だらけだ。

 母なる海、生物の歴史をたどると起源は海の中にあるという。
潮騒の音、聞いてて心が洗われるようだ。美しい渓流側の温泉旅館に宿泊しても一時は清流の音が美しく聞こえるが、しばらくすると耳障りでなかなか寝付けない。
波の音は、一定のリズムで心地よく眠れる。まるで母の胎内で聞いた心臓の鼓動のようだ。
実際、生まれる前に胎内での音の記憶なんてないけど、おそらくそれに近いものが海(波)の音にはあるのではないだろうか。
 
日本人は太古の時代から海からの恩を享受してきた。
鏃で魚を刺したり、特に石器の釣り針には感動します。先代の血がこの私にも脈々と流れてるのだろう。
 
そんな私でも船酔いの為船釣りはキャンセルです。